【こんにちは!】サイトの中の人の自己紹介!【なんでサイト運営してるの?】

生き方や育て方

こんにちは!今回は、私自身について一通りご紹介しておこうかなと思います!

目次

私の概要!

幼少期から高校まで

大学から今まで

まとめ 

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私の概要!

こんにちは!サイト主の丸山将英と申します!

現在はタイと日本の二拠点で生活中!ブログ運営しながら、教師、日本語教師、ゲーム開発などしています!

これまで行った国は、カナダ、アメリカ、中国、台湾、タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ラオスの10カ国!これから行きたい国は、エジプト、トルコ、UAEです!

今回は私自身についてカンタンに紹介してみようと思います!あんまり興味のない人が多いと思いますが、ニッチな需要に答えようと思うので、興味ある人はぜひ読んでいってください!

幼少期から中学まで

東京の23区に生まれました!第一子、長男などなどとして生まれ、そのまま東京で育ちました!

幼少期は引っ込み思案であまり物事に挑戦する性格ではなかったと思います!他人の顔色をよく伺う方で、子どもの頃から気を遣ってばかりだったので、大人っぽいとよく言われていました笑

小学校にはいってから剣道を始めたのですが、引っ込み思案で闘争心の弱い私は、「剣士」という響きのかっこよさだけではじめたものの、あまり上達はしませんでした。

6年生まではそんな感じの引っ込み思案でしたが、転機がありました!担任の先生から「運動会の終わりの挨拶」をするように言われたのです!1から6年生までの全員の前で話をするというのは当時の自分にはとてもハードルの高いことで、緊張しまくりだったのですがなんとかやり遂げた後、「人前に立って話す」「大勢に話を聞いてもらう」ということの魅力に取り憑かれていました!

それから、中学高校と学級委員や文化祭実行委員など人前に立つ係につきつづけ、将来は教員になりたいと思うようになりました。

中学では剣道部で剣道を続けながら、塾に通って高校受験の勉強をしていました。この塾の先生や、中学の国語の先生が非常に良い先生で、教え方も親身になって話を聞いてくれるところも、僕のあこがれとなり一層教員への道を志すようになりました!

高校から大学院まで

高校受験には失敗してしまい、滑り止めの私立高校に行くことになりました!昔から合唱コンクールが好きだったので、合唱部に入ろうと思っていたのですが、合唱部がなかったので帰宅部になってしまいました。

なので、勉強しつつ、地元で剣道は続けつつ、という生活をしていました。

みんなが部活になんとなくでも入る中、やりたいことがないから入らないという選択をしたり、大学受験ではみんなが勉強しているのに、全然勉強するモチベーションがわかなくて勉強できませんでした。

大学受験に失敗した私は、1年間新宿の河合塾に通って浪人生活をしていました。教師になりたかったので、筑波大学(元東京教育大学)を目指していたのですが、残念ながら合格できず、学習院大学に入学することになりました!

国語の教員免許を取るべく、日本語日本文学科で学びながら、音楽部という合唱とオーケストラが一体になっている部活に入ることにしました!ようやく念願の合唱ができる環境に入ることができたのです!

ここでも3年時には部長を務め、充実した生活を送っていました!塾で先生のアルバイトもしつつ、大学では日本語教育学という外国人に日本語を教える学問を勉強しました!「授業」「部活」「バイト」というThe大学生という生活をしていたように思います!

進路について考える時期になっても持ち前のマイペースさで全然就活や教員採用の準備はしていませんでした。自分なりにはがんばったつもりですが、一般的な大学生に比べると全然していなかったんだと思います。

結局、大学院に進学して教員免許の専修免許状を取ろうと決めました!日本語教師としても高校教員としても大学院進学はプラスになりますし、なによりもっともっと勉強して知識を深めたいと思っていました!

大学院時代は勉強の比重を重くして、生活をしていました!

ただし、勉強だけではなく一般社団法人ひととという組織にジョインして、日本語教師向けのセミナーやイベント、コミュニティづくりにも取り組みました!

ここではオンラインで多くの仲間と知り合い、尊敬できる友人にも出会いつつ、組織運営やビジネスの基礎を学びました!

また、大学院のプログラムで日本語教師として海外研修に行く機会にも恵まれ、台湾、中国、タイの3カ国にそれぞれ短期でインターンシップに行きました!ここでのタイとの出会いが人生を大きく変えることになりました!

大学院修了から今まで

タイでの短期インターンシップに参加したことで、本当にタイの人、文化、食に魅了されて絶対に帰りたいと思うようになりました!

卒業する前に、タイでの日本語教師、教員の仕事を探して、現地日本人学校での教員の職を見つけることができました!

タイに渡り、そこで念願のタイでのキャリアをスタートさせ、国語教員として働き始めました!

現地日本人学校では本当に多くの仲間に出会いました。同僚、生徒、外でのコミュニティも自分を支えてくれる中で、「この経験をもっと広く伝えて、日本をもっと良い国にしていかないと!」と思い始めました。

日本人学校での仕事はとても刺激的で、本当に充実した毎日でしたが、コロナの影響を受けての閉校もあり、次のステージへ移ることに。タイ国内で今度は大学の日本語教師の仕事につくことになりました!

タイの学生は日本人とはまた違った活気があり、元気で、とてもエネルギーをもらえました!日本を通じてつながってくれるタイの生徒と話す中で、ポジティブなことが多くありましたが、ショックだったことも。

「日本は仕事がきついので、日本には行きたくないです。タイで日本語を使った仕事を探します」という学生が多くいたのです。

また、まちなかでも「日本人なのに英語が話せるなんてすごいですね!珍しい」と何度も言われました。

衝撃でした。すでにタイの中でも日本企業の過重労働と日本人の英語力のなさは常識になっていたのです。

そして、現地で過ごす日本人たちからも「タイの生活は最高だ!日本よりもタイの方がいい!」という言葉が。

私も「タイの生活は最高だ」と思う反面、母国日本が、「やっぱり日本が一番だ!」といえる国でないことに悲しくなりました。

これはまずい、急いで日本を変えなければと思い、日本に戻って仕事を探すことにしました!

日本がもっと幸せな国に。そのためには本当の意味で国際化することが必要だと考えました。それはビジネスだけではなく、考え方を変える必要があるんです。

考え方を変えるには、日本人が変わらないと。でも日本人同士で群れていては、一生変わることができません。

そこで、日本に来ている留学生、外国人の力を借りて、もっともっと日本に外国人がいれば、変わるのではないかと思うようになりました。

そこで日本国際化推進協会という組織に入り、日本を良くするための取り組みを省庁と連携して行っていました。

確かにこの取り組みはとても社会的意義のあるものです。しかし、仕組みや制度を整えるというやり方は、実際に生徒や眼の前の日本人に届くには時間がかかる。何よりカウンターパートは生粋の日本人。

トップダウンで変えていくよりも、もっと眼の前の子どもたちを変える仕事がしたい!と思いたち、現在に繋がります!

現在は、各地教育機関での講演やキャリア支援などを中心に活動しています!

まとめ

ここまで本当に多くの経験をしてきました。

私自身がロールモデルとなることも、反面教師となることもあるでしょう。

私との出会いを、この記事を読んでいるあなたの、人生を変える出会いにしたいと思って、日々活動しています!

私に興味を持ってくれたあなた!わたしの人生を変えた本についての記事も読んでいってください!

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では!

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