こんにちは!今回は、集中しない生徒は先生の腕の問題なのか!について私の考えをお伝えしたいと思います!
授業の腕とは
授業が面白くない理由1
授業が面白くない理由2
授業は知識さえ得られれば良いのか
授業の腕とは
まず考えないといけないことは、授業の腕とはどういう事を言うのかです。
授業とは、子どもたちを「良い人間」に育てるための教育活動のひとつですね。
良い人間、良い授業とは良い人間に育てるためには、知識や社会性など様々な要素を獲得する必要があります。そのために、授業とは一般に知識を与える講義のパートと、ディスカッションや実験、発表などの学生が行うパートに分かれています。
今回、主な議題とされているのはおそらく講義型のパートのことで、理科の実験や家庭科の調理実習、また国語のディベートなどの実践は問題になっていないでしょう。
では、その講義型のパートについて考えてみます。ここでの目的は、学生が新しい知識を知ることとして考えたいと思います。これはGoogleで検索したり、Youtubeで車の買い方や旅行の行き方を調べたり、本でマインドセットや生き方について学んだりするのと同様のことですね。
ただし、ここで上記の「知る」という活動と違うのは、「その内容に興味があるかどうか」と「能動的か、受動的か」という2点があると思います。
授業が面白くない理由1.「内容に興味があるかどうか」
まず一番の違いは「その内容に興味があるかどうか」です。興味があれば話を聞くのは難しくないですよね。おしゃれになりたい人が「おしゃれな服の組み合わせ」の講義を聞くのはカンタンです。
しかし、興味のない内容を聞くのは苦痛です。例えば男女のデートの場面で、車が大好きな男性が、全く車に興味のない女性とカフェで話すとき、女性に車に興味を持ってもらえるように話すというのは、カンタンではありません。
このように学生は学校での学びの内容に興味を持っていないので、授業に集中できないのです。ではどうすればいいのか。
学校で勉強する内容はどれもおもしろいものばかりです。ですが、それは子どもにはわかりません。なぜなら、学びの順序が逆転しているからです。
通常の学びは、「疑問や課題がある」→「解決のために学ぶ、知る」という順序ですが、学生はまだ世界のことを何も知らない段階から、この「学び」の部分を与えられます。
したがって、「学び」がどんな効用をもっているのか、「学ぶ」ことでどう自分の人生が面白くなるのか、がわかっていません。
「自分の人生」と「学校の学びの内容」を結びつけて考えられる機会を与えることが、学生を引き付けるまず1つの大きなポイントであるでしょう。
授業が面白くない理由2.「能動的か、受動的か」
興味がないという以外にも学びの問題点はあります。それは学びの環境にあります。
まず、授業は大人数で行われます。教室には20から40人程度の学生がいます。大抵の場合その中に10人から30人くらいの幅で勉強に興味のない学生がいます。加えて、週に3時間授業があるとすると、年間に100回くらいは授業があるわけです。ここで全員を引き付けるような話をするというのは、文字通りかなりの腕が必要です。
また、大人数であることの弊害として、受動的に話を聞く形式を取らざるを得ません。つまり、「先生がバーっと話して、学生は聞く」という形式になっているのです。ではどうすれば学生は知識を得られるでしょう?
それは、やはり目的を与えることです。この知識を得ることで、どんな目的が達成できるのかを示すことなのです。これは各回の授業単位では、大きな目的でなくても構いません。例えば、「今日の授業では〇〇を勉強しますが、これをやると最終的にこの単元の最後の問題が解けるようになります」という目的です。そしてその目的はさらに遡れば、「なぜこの教科を勉強するのか」、「学校の勉強はなんの役に立つのか」という問いに収斂します。とにかくなぜこれを勉強するのかということを最初に伝えることが何よりも重要なのです!
授業は知識さえ得られればよいのか
授業で求められていることはただ一方的に知識を教えるだけではありません。
国語の授業で「一冊の本を3年かけてやる」とか、「1年で教科書の半分も進んでいない」けれども、偏差値がぐっと上がるという現象が起きています。これは「学生が考えている」からです。「学生が考えること」が重要なのです。
アメリカでは自分の意見を相手に伝えたり、相手の意見を聞いてしっかり受け止めたうえで反論する力などが重視されています。これも結局は「どう伝えるのが良いのか」を考えているはずです。
ただし、考えるには知識も必要なのです。知識を知り、それを使って考える、まさに「知識基盤型社会」を生き抜ける力を養うことが授業の目的と言えるでしょう。
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